東京医療保健大学
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ヘルスケアコラム

人の優しさに触れたときが幸せ

医療保健学部 看護学科
学科長 坂本 すが
いろいろな国で自然災害があり、争いがあり、殺人があり、皆さんの周りでもいつも良いことばかりではないでしょう。私も最近辛い事件などで心を痛めていました。その時テレビでこのようなお話に出会ったのです。ある映画監督さんがどなたかの質問に答えていました。それは幸せについてでした。「あなたは幸せだと感じるときはどんな時ですか?」だったと思います。この映画監督はどう答えるのかなと私は一瞬テレビを注視しました。監督の言葉から聞こえてきたのは確か「人の優しさに触れたとき」という答えでした。私の予想外のその言葉は心に張り付きました。しかしよく考えると、私が今までやってきた看護の仕事は「優しさ」をベースにする仕事です。患者さんも気がつかない隠れた優しさ、一緒に働く仲間へのちょっとした思いやり、それらは人の生きる力を引っ張り出します。また、家族の患者さんを支える力が増します。
 
日本看護協会では、毎年看護の日の行事として、「忘れられない看護のエピソード」を全国の一般の方々と看護師から集めて優れた作品を表彰しています。その中に一般の方の忘れられないエピソードがありました。少し簡略化して私の思いも含めて書かせていただきます。それは子供がアトピー性皮膚炎で何をしても治らず、「時々この子と一緒に死のうか・・そんな思いも何度も頭をよぎるほど」疲れ果てていた母親からでした。「なかなか治らない皮膚炎に周りから「わあ、汚い」息子さんは全身のかゆみから、「抱っこしても昼夜を問わず泣き叫び、寝たと思えばまたすぐに目を覚ます・・・」悩みも分かってもらえずこのトンネルには光がない」と思っていたそうです。病院でのことでした。「お母さん、病気や薬のこと勉強したのね、すごい。」「お母さんもK君も今までがんばってきたね。」という看護師のふとかけた言葉に「急に力が抜けて涙がぽろぽろこぼれてとまらなくなっていました。」とつづられていました。その時、張りつめていた心が開き、この子とともに頑張って生きぬこうと心新たにしたのだと思います。頑張れという言葉ではなく、よく頑張ってきたという言葉は看護師の母親を思う気持ちでした。私はこのエピソードから日々このようなことに触れているにも関わらず、あらためて「優しさ」の身近かさと大きさを感じました。
 
平和とか対立という言葉が飛び交う日々、これから日本は、世界はどうなっていくのでしょう、自分はどうしたらいいのでしょう。しかしこの監督の言葉は一人ひとりが行えることでした。優しさを誰かに捧げることが可能なら人は幸せを感じるのです。日本は外国の人々にとって、おもてなしの国だとよく言われます。本当のおもてなしは儀式ではなく、相手が気づこうが、分からなかろうが、優しさを行動に移すことだと思いました。これが私の人生の新たなテーマとなりました。
 
引用「」内 光がさした瞬間、第3回「忘れられない看護エピソード」集、2013、公益社団法人日本看護協会
 
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