東京医療保健大学
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ヘルスケアコラム

「看護」と「教育」

医療保健学部 看護学科
新榮 こゆき

遥か昔、実習指導で出会った学生に「先生は、何で看護師になったんですか?」「なんで先生になろうと思ったんですか?」と問われたことがあった。

その当時、三十路に近い歳であったのだが、「そうだね、親に勧められたから」「病棟の師長に勧められたから」と答えていた。その当時の私は、自己決定できない自分がとても嫌だった。「自分でなかなか決められないのよね。」と私が言うと、学生は「でも、勧められてもやろうと決めたのは、先生自身ですよね」と言った。その学生の言葉を聞いた時の衝撃は、今でも鮮明に覚えている。私の弱いところ(嫌)だと思っていた自分の中に、『自分(主体的に自己決定する自分)』があることを教えられた経験だった。

こんな私が、なぜ30年近く教員をしてきたのか(あるいは、してこられたのか)、振り返ってみると、間違いなく多くの学生たちの存在のおかげである。学生の成長を常に身近で見て多くの感動をもらい、学生が持つ可能性に圧倒されて、勇気と元気をもらい、看護として大切なことを教えられ、それにより教員として生かされてきたからだと思う。

実習を担当した学生から、「先生には何かを教わった気がしない」と言われたことがある。一瞬ドキッとしたが、「じゃあ、何をしていた人なのかな?居なくても良かった?」と恐る恐る聞いてみると、「うーん、一緒に考えてくれる人」という答えが返ってきた。教員冥利尽きる言葉だった。

私は教員として、学生が安心して自ら学び、必要な支援を求めてきた時にそこに居る人、「共に看護を考える人」でありたいと思っている。学生が自由に発想をし始めた時の成長は、本当に目覚ましく(時にヒヤッとさせられることもあるが、)多くの臨床指導者の方とタッグを組んで、学生の表情と言動が大きく成長した姿を見ることができると、「よっしゃ!!」という気持ちでいっぱいになる。

臨床から離れて久しいが、臨地実習で学生と共に看護を考え実践できる喜びは続いている。看護を「する側」「される側」、教育を「する側」「される側」、「与える側」と「受け取る側」のように一見みえてしまうこの関係について、ミルトン・メイヤロフが「ケアの本質」で以下のように述べている。

〝一人の人格をケアすることは、最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することを助けることである。″
〝相手をケアすることにおいて、その成長に対して援助することにおいて、私は自己を実現する結果になるのである。(中略)・・教師は学生をケアすることによって成長し、親は子供をケアすることによって成長する。言い換えれば、信頼、理解力、勇気、責任、専心、正直に潜む力を引き出して、私自身も成長するのである。″

つまり、ケア(看護・教育)をする側もされる側も、ケアをとおして成長できるということである。

二十歳にもまだなっていないころに看護を職業として選択し、さらに教育という場で今も学生と共に看護に携わっていられることで、私は自己実現を果たしている。《幸せ》だなと、つくづく思う。
学生の皆さん、これからも共に成長していきましょう。

引用文献:ミルトン・メイヤロフ,「ケアの本質」,ゆみる出版(1989)

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