東京医療保健大学
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ヘルスケアコラム

古代地方寺院の造営計画・技術の伝播―伽藍配置を中心に―

医療保健学部 医療栄養学科
三舟 隆之
 日本の古代寺院の伽藍配置は、従来古代の仏教思想を表していると指摘されてきたが、韓国では近年発掘調査された王興寺跡の伽藍配置は陵山里寺跡の伽藍配置とほぼ同一であり、さらに扶余周辺の寺院の多くがこの百済式の一塔一金堂式伽藍配置を採用しているところからもこれらの寺院の造営技術に共通性が見いだされ、発願者とその造営組織が同一である可能性が高い。定林寺跡や王興寺跡・陵山里寺跡・軍守里廃寺などの伽藍配置の同一性から見ても、造寺に関する技術者集団が百済王権の下で掌握されていたものと思われる。百済においては、とくに寺院造営に関しては隔絶した権力が存在したことが推測され、王権すなわち王族とそれを支える中央貴族層の一部のみが掌握していたと思われる。新羅においてもその傾向は同じで、皇龍寺・芬皇寺は共に一塔三金堂式であり、その後四天王寺や感恩寺・仏国寺などの二塔一金堂式が続く。古代寺院の伽藍配置は定型化した形式で王権が寺院を造営する技術を把握していたことが判明する。
 日本では、近年調査された吉備池廃寺が舒明天皇の発願である百済大寺跡であることが明らかになり、伽藍配置も法隆寺に先行する形態を取ることが明らかになった。日本における古代寺院の伽藍配置は、高句麗の影響を受けた飛鳥寺の一塔三金堂式に始まり、その後七世紀前半では四天王寺や若草伽藍のような四天王寺式が続き、七世紀後半には塔・金堂が横に並列する法隆寺式・法起寺式伽藍配置が採られて地方に展開し、七世紀末には薬師寺式のような双塔式伽藍配置が採られ、八世紀には東大寺式に展開すると理解されている。
 しかし地方寺院の伽藍配置では金堂のみ存在する単堂式が多く、塔が存在する場合は法隆寺式・法起寺式伽藍配置が見られるが、塔・金堂のみで講堂が存在しない場合も多い。また双塔式伽藍配置でも、金堂の横に塔が並列するものもあり、規格性という点が欠ける。
 このように地方寺院の伽藍配置は必ずしも畿内の寺院と共通性があるとは限らず、その点が朝鮮半島の古代寺院と異なる。日本では古代寺院の伽藍配置は多様であり、とくに地方寺院では規格性に欠け、畿内から離れた地域では地方寺院はさまざまな技術が用いられ、畿内寺院の伽藍配置を意識しながらも地方独自な伽藍配置も採用されている。日本古代の地方寺院は、ある程度規制されず独自なプランで造営されていたと考えられる。
(平成26~28年度科学研究費補助金(基盤C)課題番号:26370775 研究課題名:「古代地方寺院の造営計画・技術の伝播-伽藍配置を中心に-」より要約)
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